日本共産党佐藤純一

宮前区市政対策委員長

おいたち

高知県南国市に産まれる

1989年高知県南国市に生まれました。家族は、両親、妹それに祖母。父は日本共産党の高知県事務所の勤務員、母は保育士として忙しく働いており、私はそれを見て育ちました。忙しい中でも、夏休みになると、家族そろってよくキャンプや旅行に出かけたことを覚えています。

高校時代—民青同盟の活動に熱中

2002年、高知県立高知丸の内高校に入学。入学と同時に、世の中のことを勉強したくて日本民主青年同盟(民青)に入りました。
民青では餃子を作って食べたり、スポーツ大会をやったり、充実した日々でした。しかし、いちばんの思い出は、広島の被爆者の方のお話を生で聞けたことです。原爆のひどさをより生々しく感じ、核兵器はなくしていかなければいけないと思いました。

映画の専門学校へ

民青同盟の活動がない日には、映画をレンタルして見るようになり、次第にその奥深さにひかれました。
そして、さらに脚本に興味を持ち、シナリオを読むようになりました。卒業後、脚本家をめざして新百合ケ丘にある日本映画学校(現・日本映画大学)に入学。クラスメイトと実習で中編映画を制作、脚本の勉強も原作の脚色を学びました。

フリーター時代—働き方への疑問

卒業後は、スーパーの精肉部門で働きながら脚本の勉強。しかし、その収入では、家賃や光熱費、食費でかつかつの毎日。インフルエンザで休んだときなど生活は本当に大変でした。
チェーンの飲食店で一人社員だった友人が、休日もなく、連日夜中までの残業という異常な勤務のもとで、退職しました。
「仕事は嫌いではない」というその友人の言葉を思い出し、「働き方のルールさえキチンとしていれば、やめずに続けられた」と悲しくなり、まじめに働いてもフツウに暮らせない、社会の在り方に疑問を持ちました。

戦争法反対の運動 そして、共産党

安保法制反対の集会で
安保法制反対の集会で

2015年、戦争法に反対するデモに、参加するようになりました。政治のデモというと、堅苦しいイメージがありましたが、このデモは、若者や子ども連れの家族も多く、思想信条に関係なく現状に危機感を持った人が気軽に参加していること、そしてその熱気が驚きでした。
様々な人々が自分の言葉で、このままではいけないと訴えている姿に、とても感動しました。
おかしいと思ったことを声に出していくこと、国民の声を受け止める政党が大きくなることが必要だと感じ、日本共産党に入党しました。

区民からの相談に弁護士とともに
区民からの相談に弁護士とともに

人見知り
子どものころから人見知りな性格でした。夏休みの宿題でお年寄りに戦争体験の聞き取りに行ったとき、体験談を伺ったあとに、「何か質問は?」と聞かれ、「戦争が終わったときどう思いましたか」と聞きたいと思いましたが聞けませんでした。今だに、あの時聞いておけばよかったと思い出します。

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